陽だまりのなかで

昨日よりも今日もっと好きになったから明日はもっともっと好きなんだろうな

#ジャニオタと就活 その2

季節はめぐり、キンプリツアーが終わり、私がPRODUCE 101 JAPANに頭のてっぺんまで浸かるほどハマっているうちに、2019年も残すところあとわずかとなりました。前回の記事にツイッターやマシュマロなどで反響くれた方ありがとうございました。第2弾待ってます!と言ってくださる方がいたのに日プに魂を抜かれていたので遅くなりました。では、どうぞ。

その1はコチラ
monkichi3013.hatenablog.com



<大学3年3月>
就活解禁日の3月1日。
その瞬間私は何をしていたと思いますか?
バイト先の人たちと飲み会帰りに、コンビニで買ったチューハイで解禁日を祝って酔っぱらってました。(どこまでもダメ人間)
めちゃくちゃ楽しかった。
そして酔っ払いながら1時くらいに家に帰っていくつかの企業にエントリーし、説明会の予約をしました。
ちなみにここで、なぜ解禁の瞬間にエントリーが集中するかというと、人気企業はエントリー開始してすぐ説明会の日程予約が埋まっちゃうんですよね。で、選考を受けるにあたって説明会の参加が必須という企業も多いので、みんな0時になった瞬間にエントリーするんですよね。でも2時くらいにエントリーしても結果的に大丈夫でした~いえ~い


そして怒涛の説明会と選考地獄が始まります。
本当に毎日スーツで都内を歩き回り、多いときは1日3つの説明会をはしごしたり、その間にESを出したりテストセンターでSPIを受けたり面接を受けたり...。私は土日にも説明会を入れていたりしたので3月は3回しかバイトをしていません。でも後から友達に言われたけど「基本平日休みの会社なのに土日に説明会開催して働かせるような会社、行きたくなくない?」って言葉に、確かに...と思ってその後は土日に就活をするのをやめました。
ハイヒールでスーツで一日歩き回らなきゃいけない、日本のこの就活スタイル、反吐が出るわ!!!!!!!と毎日思っていた。ストレスで肌も荒れました。
3月はまだ面接よりも説明会参加するのがメインの就活だったけど、それでも本当に疲れるんですよね。私が特に嫌だったのは、社員さんとの座談会。いや聞くことないし!!!!手取りと残業と雰囲気だけ教えてくれれば良いし!!!!と思いつつ、そういうわけにもいかないので、「やりがいは?」とかそういう当たり障りのない質問をして時を過ごしていました。
でも、まぁ、嫌々やっていくうちに、やっぱり自分の志望業界のA業界でも、説明会や座談会に参加することで、どういう業界図になってるのかイメージできるようになったし、その中で御社はどういう立ち位置なのか?同業社と比較してなにが強みなのか?ということが明確に見えてきました。手探り状態だった就活もやっとそれらしくなってきた。




そして並行しながらオタク会社も受けたよ〜!


はいみんな大好き出版社S社!!!!
エントリーシートがまず手書きでした。この時代に。すごいよね?定番質問に加え、好きな雑誌三冊、好きな映画3つ紹介しろ系があった。ジャニオタとしてエントリーした私はなんの躊躇いもなく、ドル誌、TV誌などを書きます。偉そうに感想も書いてました。あとフリースペースがあって自己PRしろという項目もありました。
さぁ、美術万年3の私。困った。
絵心もセンスもない私が編み出した術が、、、、


写真とラップ

自分の今までの中で一番面白い写真とそれに沿って5分で考えた即興自己PRラップを横に書き加えましたwwww

そして無事通過♡私の愛とドル誌TV誌の要望が伝わっただけで嬉しい♡

次は筆記試験です。
これがまぁ〜すごい。
マジでびっくりするくらい人人人。
ここはTOEICの試験会場か?ってくらい受験者がいる。だって大学まるまる借り切って試験実施してるんだもん。多分数千人いた。で大阪会場もあったので合計するとほんとに五千人くらいいそう。「毎日ニュース見てるから時事は大丈夫だし〜エンタメも余裕だし〜いけるっしょ♡」と特に対策しないで行った私、無事撃沈しました。あくまで出版社なので、もちろん文学問題が沢山出て、読み書き問題も多かったので、普段本を全く読まない&中学生の頃から漢字が苦手な典型理系女はお手上げでした。エンタメ問題多ければいけるっしょ♡と思ってたけどそんなに多くなくて…。ただ「昨年公開されたセンセイ君主実写映画の主人公を演じた俳優は、①平野紫耀中島健人竹内涼真吉沢亮」みたいなふざけた問題はありました。オタクみんな分かる。
せめて面接までいってネタとしてブログに書きたかったのに見事に跳ねられました…出版社に入るのは本当に大変なんだなと改めて思いました…。



当時私は業界を完全に絞っていたわけじゃなかったのでテキトーに聞いたことある企業の説明化の予約も入れたんですが、説明会はしごの後に会社に向かおうとしたとき、「本当に私興味あるのかな?...ないな、帰ろ」と思って帰ったこともあります。
でもね、そういう日があってもいいと思う。
あと、説明会に行く日に家に定期を忘れて「取りに帰ったら間に合わない...でも定期区間内でタダだったものに交通費払うのは惜しい...よし、帰ろ」と思って家に帰ったこともあります。みんなきっとあると思う。でも結局自分にとって興味のない会社だったんだってことだし。自分の気持ちを押し殺して無理に向かってもその後辛くなるよって言いたいです。


本当に辛かった3月でしたね。(総括)
割と志望度の高い企業の一次面接があって、それが風変わりで、お題を引いてそれについて3分間フリートークをするという面接だったんですよ。一応掲示板などでその面接スタイルの情報は知っていたんだけど、いざ本番になると全然喋れなくて。「時間」というお題だったんですが、全く喋れなくて時間オーバーして爆死しました。午前中に面接だっただけど、即日合否が出る会社だったのでその日の夕方には、案の定不合格の連絡が来て。「私の今日の時間は何だったんだろう?」「今日何のために、何をしたんだろう?」という不甲斐なさで胸がいっぱいになってその日の家までの帰り道静かに泣きました...。


<大学3年4月>
相変わらずとにかく苦しい就活でした。
毎日スーツであるき、自分のやりたいことを見つめなければいけない日々はとても窮屈で、ものすごく情緒不安定でした。初めて最終まで行った志望度の高かった会社に落ちたり、SPI対策を詰め込んだり。まぁラフストに行ったりうち執のクリアファイルのために都内行脚したりとオタクしていたんですが、それでもどうにも苦しくて、泣きそうな毎日で。

そんな時に出会ったのが............あすかな!!!!

出会ってハマるまでの経緯はコチラ
monkichi3013.hatenablog.com

疲れ切って自己否定される日々の中、毎日忙しいのに架空のキャラクターを演じ切り、日々を頑張って生きる術を優しく教えてくれるSHOWROOM配信&丈くんの大学生の時企業への就職を考えた話、などに勇気をもらい、もうそれは面白いようにハマっていきました。今は落ち着いて配信はたまに見る程度ですが、この時期は配信のある夜には何も予定をいれず、スマホツイッター流し見、パソコンでSHOWROOM視聴&エントリーシート記入の3刀流で毎日を乗り切っていました。少年たちを友達とみる約束をして渋谷のTOHOシネマ下のクリスピークリームドーナツで友達を待ちながら丈くんへのファンレを泣きながら書いた思い出…。

そんなこともありながら、間違いなくあすかなのお陰で乗り切ったその頃でした。



で、4月は、V担がここ数年大変お世話になっている某放送局を受けました。年収が1000万円超えで採用人数が数人という恐ろしい倍率のこの会社。まぁES通れば良いな~くらいの気持ちでふざけて書いたESがまさかの通った。
ほんとにふざけすぎて激ヤバなのでそのまま載せちゃう。このESを読んでもらえたってだけで受けた価値はあると思ってます。

愛して止まないモノ・コトについて 500字以内
V6です。V6と聞くと「おじさんジャニーズでしょ?」等のイメージをされる方がいますが、実は只者ではないんです。なぜ私がV6に魅了されているのか。大きな魅力は、「衰えないダンス」です。元々アクロバットが売りであった為、基礎体力が同年代よりも高く、今でもレベルの高い踊りができます。その上プロとして日常的に体を整えているため、コンサートでは他の若いアイドルグループよりも圧倒的にダンス量が多く、その大人の色香漂うダンスは圧巻です。もう一つが「重厚な歴史」です。20年以上一人も欠けずにグループが続くことは決して容易ではなく、V6も何もなかったわけではない。けれど、一つ一つの歴史を全員の胸に刻み、今は程良い距離感と仕事量で航海を続けているのがV6です。他には、アイドルグループとしては珍しく楽曲制作にメンバーが携わっていたり、ジャニーズ事務所初の試みが5~6つあるほどに最先端を取り入れる挑戦姿勢などの魅力があります。V6のことを、ただのおじさんグループだと思っている人に、私は言いたいです。V6は、「職人気質」で「オシャレ」で「最先端」で「長い歴史」があり「現役で歌って踊り続けるプロフェッショナルアイドルグループ」です。

私多分、ESをはてブと勘違いしたんだと思う笑
落ちることを前提に、とりあえず感謝の気持ちと今後もよろしくお願いしますの気持ちを込めて書きました。笑ってくれ。いや、ほんとよく通ったな。

次のステップはGDでした。2日くらいの選択肢で1日10回開催されていて、一度に30人くらいしかいなかったのでESで割と絞られてる印象だった。6人で、新しいエンタメを何か考える的なお題で(忘れた)面接官3人の前で最後に決まったことをプレゼンする、という典型的なGDでした。でも、お題が漠然としすぎていたのと、設定が特に決まっていなかったのと、面接官の雰囲気がちょっとアレで、正直何を見ているのか、何を判断しているのかがよく分からなかった。だってGD全通の私が唯一落ちたGDだから!!!!!(怒ってる)
あまりにあっさり落ちたので「あ~縁がなかったんだな~」と諦めがつきました。V6を起用してくれる感謝が伝えられたのでそれだけで十分。社内の雰囲気は結構こじんまりしていて、少数精鋭でやってるんだな~という印象でした。ただ、これからどうやって営業利益をあげていくかの展望があまりよく分からなかったのは正直ありました。(落ちたから偉そうに言う奴)



ここでひとつ面白い話をしますねwwww
とりあえずA業界とマスコミ・エンタメ系で就活をしてたんですけど、色々情報を集めているうちに、A業界の中で、「高年収で月残業時間一桁の超絶ホワイト企業」という穴場を見つけたんですよ。でも、それが大元の本社なのか、関連会社なのか、どちらを指しているのか分からなくて。「とりあえず私がやりたいことは、本社の中の部門でもできるらしいから、年収高いし大元の方を受けてみよう~」と、ちょっと志望業界からは逸れていたけれど受けることにしたんですね。
その面接のスタイルがまぁ独特で。
ESの最後の項目に「待ち合わせの時に目印となるような服装や所持品を記載し、当日身に着けていてください」とあったんですよ。
「オタクのチケ業務か!!!!!」
なんで指定するんだろう?と疑問に思いつつ無事ES通過し、連絡が来ました。「某駅〇改札口にて17時に先日申請したモノや服装を身に着けお待ちください。担当者が迎えにあがります」と。で、嫌な予感を感じつつ17時に向かいました。するとスーツ姿の就活生がたむろしていて、その前には会社員風の男性がちらほら。「いやだなぁ...」と思いつつ虚無の顔で待っていたら20代半ばくらいの男性が声をかけてきました。
男性「もんきちさんですか、、、?」
「チケ業務か!!!!!(2回目)」
そう、ここの面接は若手社員と1対1の夕食を介しての面接だったんです。
男性「じゃあ、行こうか?」
パパ活か!!!!!!!!(パパ活したことないから知らんけど)」
でそのまま会社が指定したであろう和食屋さんに到着し、始まった面接。そして私は開始1分で気づきました。
「受けるところ間違えた」
先述しましたが、本社か関連会社かで迷って本社を受けたのですが、私がやりたいことは関連会社でしかできなかったらしいんですよ。なので圧倒的に業務内容が違いすぎて、お互いの意思疎通がまぁできない。だって志望業界とは違うからまず業務内容が分からん。知らんもん。途中帰りたすぎて、バックもってトイレに行く振りしてバックレようかと思った。あんなにオレンジジュース飲むのに頭使ったことないわ。就活中最も時の流れが遅いと感じた面接でした。あ、もちろん落ちました♡




そんな4月を駆け抜けて、ついに4月3週目で初の内定をゲットしました。


2回に分ける!って言ってた割にまた長くなったのでその3に続く

#ジャニオタと就活 その1

先日内定式を終えて、学生生活も残り時間6ヶ月となりました。それなりに頑張って就職活動したのにいざ社会人という肩書きが差し迫ると吐き気がするほど嫌になってきた………

まぁそんなことは置いといて、ずっと書きたいと思ってたジャニオタと就活について書きます。オタク的に割と面白い就活をしたんじゃないかなって思います笑 (面白い就活とは)
タメになるか分からないけど、
やりたいことなんて特にないからせっかくだったらオタクっぽい就活したい!
思ってふざけた就活をしてみました。

つまりはどういうことかというと、
ジャニオタならなじみのあの企業やあの企業のインターンに行ってみたり選考を受けてみた(途中から割と本気で)話や、現場との両立の話などをしています。

ちなみにめちゃくちゃ長くなったので、結果的に一万字レポートになってしまったw
結構詳細に選考内容を書いてるところもありますがそれはまあ当然落ちたから書けてますwあとインターンや説明会の段階でネット上に詳細書くなと同意書を書かせられたところはぼかして詳細書いていません。もちろん特定を避けるために私の内定先の選考のことも一切触れてないので、これらを念頭に置いてくださいw




私について
・関東の某国公立大学に通うオタク
・8割が院進するド理系学科
高校の時得意科目だったので今の学科に入学したけど専門の授業を受けてく中で周りとの学力の差と熱量の差を感じて勉強することが死ぬほど嫌になり学部就職を心に決めたのは大学2年の夏のこと(遠い目)。
・サークル無所属
1年の時に入ったけどつまんなくて即やめた
・バイト戦士
バイト代の全てをアイドルと旅行に費やす生活をしていた4年間
・肩書何もなし
よく言うサークルで代表やりました!とかバイトリーダーで売り上げを伸ばしました!とか留学してました!とかバックパッカーやってました!とか起業しました!とかアプリ開発しました!とかそういうものは何一つない凡人学生。しいて言えば大学2年の時に韓国に2週間サマースクールにいったことと、大学3年の時に留学生のチューターボランティアをしてた(しかし本当に人間関係構築を面倒くさいと思ってしまうダメ人間なので数カ月でフェードアウトしてしまった最低人間...)
・好きなことはアイドルを観ること応援すること、コンサート舞台ミュージカルを観ること、ドラマを観ること、海外旅行
・学生時代は、毎日学校に行き授業を受けて放課後はほぼ毎日バイトをして週末は習い事か現場という生活をしてた
・学校の成績は中の下か下の上くらい。
・資格はTOEIC(600点台)と昔受けた英検3級と運転免許



学生時代(というか人生の中で)頑張ったこと→
一番頑張ったことはオタクだし!中学生からオタクだぞ!と思いつつそんなことお堅い面接官の前で言っても逆効果(一度だけ言ってみたけど逆効果だと悟った)なので、他のものをあげると、幼少期から今も習い続けている習い事(私のツイッターを昔からフォローしてる人は知ってるかもしれない)とそれに伴う課外活動、10種類以上経験してきアルバイト、大学受験。


就活開始時の軸→
第1希望:出来ればマスコミ系エンタメ系の仕事が良い。なぜならオタクなのでできるだけ"好き"に関われる仕事が良いから。その方が絶対人生楽しいと思ったwでもかといってプライベートの時間が無い激務は嫌だったのである程度の給与があるところが良かった。となると超人気企業しかないので高倍率…
第2希望以下:マスコミ系に付けないのなら正直職種はなんでも良いと思っていた。首都圏勤務全国転勤なしの総合職土日休みホワイトで口コミサイトや四季報で平均年収700万以上のものならどこでもよかった。


私の就活は、本当にまっさらな状態から始まりました。とにかく将来やりたいこと、つきたい職というのがこれと言ってなく、強いていえばエンタメとアイドルが死ぬほど好きなので関連の職につけたらきっと人生楽しいよなぁ〜くらいのことをぼんやり考えていたくらいで、大学で勉強してきたことを活かしたいとも思わず(というかむしろ本当に専門の勉強を嫌いになっちゃってたので絶対に関連職につきたくなかった)、周りで学部就活する子も少なく手探りで辛かったです…。
まずは興味のあることから始めよう、名のある企業のインターンに行ってみようと思って3年のインターン解禁の頃くらいから就活を始めました。



<大学3年6月〜8月>
テキトーにリクナビマイナビに登録をし、テレビ局ほぼ全てと有名企業を業界問わずとりあえずエントリー。そのあとテレビ局とタイミング合う企業だけESを出し、2社面接を受けました。テレビ局は、私はドラマが大好きでとにかくドラマ制作をやってみたかったのでプロデューサー職?という部門に出した。そしたら本当にシナリオを書けみたいなESでめちゃくちゃこっぱずかしかったな…あと自己PR動画も必須で、それもめちゃくちゃ恥ずかしかった〜お願いだから動画返して欲しい。長期インターンは拘束される感じが嫌だったので2〜5日間くらいのものしか出さなかった。結果は、テレビ局はESで全落ちしw、某有名キャリアのインターンに合格して参加しました。何か役に立ったか?って言われると分からないんだけど、チームでひとつのものを限られた時間の中で作り上げて発表するっていう作業は多分その後に就活に生かされた収穫だったのかな〜って今振り返ると思います。このインターンの初日、なんか目立つことしなきゃ...!と思った私は50人くらいの前での自己紹介で「特技は!ノールックメモ取りです!そして私の名前は覚えなくて良いので神宮寺勇太くんという名を覚えてください!」と何故か自らオタク公言して最終日までいじられ続けました。なんでこんなことしたんだろ?ほんとに。


<大学3年9月〜11月>
もうこの時期が〜信じられないくらい抜け殻のような日々を送ってて、特にこれといった就活をしませんでした笑するのを放棄してた笑そして大学も死ぬほど嫌だった。
夏の数日間のインターンで力尽き、周りの子が業界研究とかなんだか言ってる話に全くついていけず、ほんとにやりたい仕事ってなんだろう?私何がしたいんだろう?というか仕事しなきゃダメなの?なんで人々は職につくの?という初期地点に戻り、毎日ぼーっとして過ごしてました。
で、それでも私はテレビが大好きなオタク人間なので、この時期何にハマっていたかというと、なんとびっくり岡田将生です。
この時期落語心中というドラマをNHKがやってたんですけど、エキストラバイトでたまたまこのドラマに参加する機会があり、その時間近で見た着物姿の岡田将生がまぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー信じられないくらいの本当に信じられないくらいの本当に身震いするほどの美しさで、それに衝撃を受けてしまい、どハマりしてました。今まで散々色んなアイドルなり有名人なりをステージだったり遭遇だったりで近くで見た事あったけども、紛れもなく今までで一番美しいと思った芸能人でした。ダビデ像かと思った。アムゾンプライムで配信されてる過去出演作品を全て制覇し、YouTubeなどで動画を漁りまくり、「ゆとりですがなにか?ってドラマ好きだったな私〜そういえば岡田将生出てたな〜」という記憶を思い出し、そのままゆとりですなにか?というドラマに私は大きな影響を受け始めます。このドラマで島崎遥香演じるゆとりちゃんがまさに私と同じく就活生役だったんですが、自分が何がしたいか分からなくなりガールズバーのバイトを始めたり岡田将生の友達に片思いしたりで一皮むけて内定が決まるという話があったんですが、このドラマに感化された私は「え?じゃあ私もガールズバーでバイトしたら何か変わるかな?」と思い、「ガールズバー バイト 東京」をGoogle検索にぶちこむところまでやってましたwwwあとは、岡田将生とこのゆとりですがなにか?というドラマにハマり過ぎたせいで、「じゃあもういっそ役者になろうかな?」と思い、「芸能事務所 オーディション」と検索し、履歴書を用意して途中まで書くところまでやりましたwww(ガチ) 本当に傍から見たら笑っちゃうほど、1人で葛藤し、理性を失っていた時期ですw


<大学3年12月>
ついにテレビ局の就活がスタートしました。まず始まったのが汐留と赤坂の企業。まずESとwebテストと自己PR動画の書類選考。
どちらも志望理由ガクチカなどの定番はあって、それプラス、汐留は「一番心に残ったコンテンツと理由」赤坂は「人生最大の決断をドキュメンタリー番組にした場合のタイトルとあらすじ」「自分自身にハッシュタグを5つつける」という変わった項目がありました。自己PR動画の課題は忘れた...でも自室で自撮りした適当なものだったけど全然大丈夫だったので多分こだわらなくて大丈夫だと思うw
どちらもESは通ってそのまま一次面接。もうこれがすごい。なにがすごいって人がすごい。番組制作の職は10人ちょっとの採用なのに、多分2000人以上いたと思う。2日間面接日があって、一日あたり10個くらい時間帯が選べて、1回あたりに100人以上くらいいた気がする。で、面接も大部屋を簡易のブースで20個くらいに区切られてて面接官2人に対して一人当たり20分くらい。与えられた時間も短いし、流れ作業のような感じがしました。エンタメ好きだしドラマ大好きだしドラマ制作したいな~くらいの気持ちで面接を受けに行った私は、これが初めての本選考でした。なので結果はボロボロ。聞かれたことはESに沿った内容で多分就活生にとっては一般的な質問項目ばかりだったので今思うと簡単だけど当時の私の出来はひどかった。ガクチカも固まってないし、志望理由も通り一遍だし、なにより面接官だったおそらくは男性アナウンサーの人の顔が好きすぎて凝視してたらいつの間にか終わってた....。会場には同じようにテレビ大好き!な子達やテレビそこまで見ないけど体力はあります!といったガチ体育会系(多分この層が一番面接に強そうだった)や面接練習がてら受けて見たミーハーっ子という3種類くらいでした。早い選考だったので、とりあえずテレビ好きだし受けてみた♡みたいな層が多くて、そういう層はこの一次面接や次の二次面接でバッサリ落とされます。かく言う私も残念ながらその一人....。
偉そうに比較してみると、汐留と赤坂だったら、赤坂の方が面接人数が少なかったので多分ES通過率が低かったと思う。だからか、待機室の時も面接の時も対応が丁寧だった。赤坂の方は割と手ごたえがあったのにあっさり落とされて結構悲しかったな~~~....。テレビ局就職の難しさを実感しました。


<大学3年冬休み~2月>
エンタメ業界の厳しさを痛感した私は、エンタメ業界をゆるゆるみつつも、保険を掛けるためにもう一つ志望業界を見つけることにしました。志望業界を決めるにあたって私が選んだ方法が
消去法!(本当にひどい)
とにかくこれといった志望業界のなかった私はとりあえず業界問わず聞いたことある企業の説明会などに行ってみたけど、そこで感じたのが、私はお堅い職種が苦手だということ。説明会のスライドの雰囲気で感じた、堅~〜い雰囲気が性格的にムリだった。性格的に、人に縛られることが嫌いな私は、細かく丁寧で年功序列で所謂お堅いお仕事が苦手だと気がついた。だから、できるだけそういう雰囲気ではないもう少し裁量権のある緩やかな雰囲気のある業界が良いなと感じました。そのうえで、エンタメ職じゃなければ転勤なんてしたくない!と思っていたので、首都圏勤務で、転勤がなくて、年収もそれなりにあって、総合職で~となると必然的に絞れるんですよね。だから保険をかけて志望業界を決めました。これから先この業界のことをA業界と言うことにします。

でとりあえずA業界を保険として絞った私は、とりあえず関連の企業2,3個の1日とか2日のインターンに参加して業界研究をかる〜くし始めました。どういう体型でそれぞれどんな違いがあるかを少しずつ学び始めます。

それと同時進行で私の好きなエンタメ業界のインターンにも応募し、選考を通過し、無事ジャニオタなら誰しも知ってるあの有名企業に行ってきたよ!(鼻息を荒くして)
ひとつは…………
はい、みんな大好き某ドル誌の編集社!!!!
芸能誌インターンはなかったのでファッション誌だったんだけど、楽しかったなぁ〜〜〜半日だけだったけど楽しかった。
参加者のうち体感3割ジャニオタ5割ファッション好き2割出版社ガチ勢って感じだった。
ファッション誌のインターンだったので、御社の歴史や特徴をまずは前半で学んで、後半は実際に特集タイトルをつけてみたり、グループで「就活生に役立つ特集!」というお題で誌面を具体的に考えてみたりしました。やってるときはすごく楽しかったんだけど、その場にいた編集者の人たちが割と顔が死んでて疲れてて、あ~大変な仕事なんだな...と感じましたし、企業として考えるとこれからのペーパーレスの時代どうやって生き残っていくのかな...どんどん売り上げ下がってるけど...という先細り感は感じました。
ちなみにこのとき、編集者の人がおっしゃってたんですが、
読者アンケート、めちゃくちゃよく読んでるそうです!!!!
やっぱりまだまだアナログなので、読者からの直のアンケートはすごく励みになってるし、かなり参考にしているそうです。だから、ジャニオタがよくやるお礼や要望等のアンケートはかなり生きてるんだろうなぁと思いました。

で、もうひとつが.........
はい、渋谷の某テレビ局!!!!!!
これが本当に良かったんですよね~~~~。ドラマが大好きなのでほんとはディレクター職が良かったんだけど、時期が合わなくてニュース制作のインターンに参加しました。残念ながら誓約書書かされたから詳細話せないけど...。
でも、今まで感じてきたキー局の高圧感とかおごった感じとか陽キャ感とか体育会系感が全くなくて、社員さん全員低姿勢で丁寧で優しくて真摯で頭がよくて、会社全体の魅力を強く感じました。内容も、「え!?こんなところまで見せてくれるの!?え!?この人にも会わせてくれるの!?」と思ったほど充実した内容で、すごくよかったんですよね。少人数で質問に答えてくれる座談会の時間もたっぷり用意してくれていたので、色んな話を聞くことができたし、こちらの相談にも乗ってくれて。しかもインターンに参加したらさらに勉強会というより少人数の相談会のようなものも用意してくれて。これをきっかけに私は生半可な気持ちじゃなくて、本当にこの会社に入りたいと思いました。全国転勤もどんとこい!という気持ちで。

こんな風にインターンに少しずつ行き、何となく志望業界が絞れて、展望図が見えてきたところで、3月になります。
あ、そういえば2月末に1週間くらい海外旅行に行ってたりしてたので割と余裕こいて遊んでました笑




異様に長くなったので2回に分けます!前半はここまで!

DREAM BOYS 2019 備忘録

もし、死ぬ前に、人生最後に観るステージを一つ決められるとしたら、私は今年のDREAM BOYSを選ぶ。


今日まで生きててよかった。
応援してきて間違いはなかった。
公演終了後、全身の力が抜けて、ただ涙を流すことしかできなかった。
そんな舞台は、人生で初めてだった。



私は神宮寺くんのコンビで、他のどんな組み合わせよりもWゆうたが好きだ。
それはこの2人の関係性に心の奥底から憧れているからだと思う。
2010年のSUMMARYをきっかけに仲良くなり、そこから2人はずっと一緒だった。周りの仲間たちが退所したり、ユニットを組んだり…今のJr.界隈とは違ってまだとても流動的だった頃、Wゆうたは多くの時間を同じステージの上で過ごしてきた。貴重な青春時代を共に過ごしてきた大切な仲間。
Wゆうたはシンメではない。
大親友でもない。
ただ、誰よりも信頼している戦友だ。
長い間、楽しいことも辛いことも共有してきて、たくさん笑いあい、刺激しあって、今も変わらず同じステージに立っている。そんなWゆうたの奇跡のような軌跡を心の底から愛しているし、強い憧れを抱いている。絶対的な信頼と友情がそこにはあるから。決して馬鹿にしたり茶化したりしない純度100%の絆と絶対的信頼があるから。
この2人がどれだけ頑張って今のステージにたどり着いてきたかが分かるから、私は過去を思い返すたびに、今のWゆうたへの想いが強まる。

Wゆうたが2TOPでドリボをやると聞いた日には、もう嬉しくて嬉しくてたまらなかった。夢かと思った。
そのうえ、岸くんの尊先である光一くんが演技指導、タッキーが演出、そしてジャニーさんの最後の総合演出。多くの大人が2人の記念すべきステージを支えてくれる事実に涙がでるほど嬉しかった。
私はWゆうたに圧倒的信頼を置いているから、絶対的に素晴らしい舞台なんだろうという確信があった。

しかし、その期待を遥かに上回る素晴らしい舞台だった。
とにかく素晴らしかった。
なんといっても、芝居、歌、が素晴らしかった。今まで帝劇で二人の演技や生歌は見てきて、そのたびにその技術力に惚れ惚れしていたが、実力に見合わぬ日々が歯がゆかった。着実に成長を遂げている2人をいつか誰かが認めてくれるんだろう、と。そんな未来をずっと待っていた。
そしてやっと訪れたこの時。

ジャニーズ伝統舞台の座長と準主役を掴み取ったWゆうた。2人のポテンシャルが花開いていた。贔屓目は拭えないが、岸優太の”ユウタ”と神宮寺勇太の”ジン”が確かにそこに存在していた。DVDで予習した役のイメージだと、ユウタは弟の為チャンプの為すべてを自分で背負いガムシャラに生きる男であり、一方チャンプは不良のような怖さと強さを持つが実は理解者である男、というイメージだった。けれど、今年のユウタとチャンプはそこに岸くんの人柄と神宮寺くんの人柄が重なり、一味違った。岸くんが持つ柔らかさと人間臭さがどこまでもユウタを厚い人間にしてくれていた。神宮寺くんの冷静さと強さがチャンプをより真の強い男にしてくれた。
本当の強さと優しさを、2人が身をもって教えてくれた。
また驚くことに殆ど生歌だった。King&Princeはコンサートでも歌番組でも生歌が多く、とにかく実力を現在進行形で伸ばしていける環境にあるグループであることは知っていた。でもまさかドリボでもその方向性が活かされるとは思わなかった。しかも、普段のコンサートや歌番組での生歌の歌い方とは絶対的に違う、ミュージカルの歌声をしていた。私はミュージカルが好きで、ジャニーズ以外もよく見に行くが、ドリボのWゆうたはミュージカルスターの姿だった。発声から、喋り方、ひとつひとつ繊細で気を使いながらでものびのびとした歌声で会場に響かせていた。この2人の変貌が、成長環境が嬉しくて嬉しくて。一から成長できる機会を与えられたこと、そしてこの挑戦を確実に成長に繋げているWゆうたの姿がそこにはあった。



今回のDREAMBOYS、劇中歌やセリフに今までの二人が描いてきた物語とリンクするシーンが多くて、その一つ一つのセリフと今までの宝物のような思い出の日々のパーツが重なった瞬間、私は涙が止まらなかった。始まってから終わりまで一筋の涙を零し続けていた。


そのひとつ、劇中のこのセリフ。

ユウタ「夢は叶うとは限らない。大切なのは、それでも夢を持ち続けることだ。」「チャンプは夢を叶えた。」

ジン「諦めるな。夢は必ず叶う」

この台詞を聞いた時、今までの二人のジャニーズJr.人生がフラッシュバックした。
目の前の仕事に全力で取り組み、夢に向かって着実に歩みを進めていた岸くん。
常に夢を口に出し何があっても諦めなかった神宮寺くん。
同じステージ、同じグループでいることが多かったWゆうたは、お互いへの夢への挑戦をこんな風に支えあっていたのかな、って。
いつだかの雑誌で嶺亜がこんなことを言っていた。「神宮寺はSexy Zoneがデビューした時、『俺も絶対デビューする』って夢や目標を口に出していく男だったんです。そうやって自分を奮い立たせていたのかもしれないけど、彼の影響でみんなスイッチが入って、何となく続けてきた俺も"ジャニーズで頑張ろう"って思う心の準備ができた」
神宮寺くんはいつだって前を向いてきて、絶対に諦めない人だった。弱音を吐かず、常に向上心だけをもち、夢を叶えた。だからこそ、チャンプのこの台詞には大きな説得力があった。一つ一つの仕事に全力で取り組みいつまでも夢を持ち続けたユウタと、絶対に夢を諦めないで自らや周りを奮い立たせてきたジンが、今、夢を叶え、二人でこの帝国劇場の舞台に立っている。
こんなにも美しい軌跡を私は他には知らない。
私は2人のこの志に心底惚れ込んでいるんだ。



2人が手を握った瞬間、2人が熱い抱擁を交わした瞬間、見つめあって「終わらない夢を描こう」と誓った瞬間、岸くんが圧巻のソロ曲で魂を削っていた瞬間、神宮寺くんがアカペラで劇場を震撼させた瞬間
このひとつひとつの瞬間に、Wゆうたがこれまで築き上げてきたこれまでの努力の日々と二人の信頼関係が走馬灯のように蘇り、本当に涙が止まらなかった。
やっと、やっと、ここまで来たんだな、って。
あの日、SUMMARYで颯くんと一緒に君君を歌っていた少年が
あの日、必死にカメラに食らいつき全力で自分をアピールしていた少年が
私なんかが言うのはおこがましいけれど、認められるべきWゆうたが至極正しい見方で認められ、そしてこの機会をまた確かなものにしていることがたまらなく、嬉しくて、誇らしくて。
人間コツコツ頑張ってたらいい事あるんだな、ということを2人は身をもって証明してくれた。


私はWゆうたの仕事人っぷりに絶大な信頼を置いている。
2人だって始めからステージへの敬意を払い、120%の誠実さでステージに立っていたわけではない。写真集で語っていたが、SHOCKを経験したことで初めて仕事への自覚が芽生えた岸くん。しかしじぐいわのリハ風景にがっかりした瞬間があった事実。けれど、だけれども、いろんな景色をみて、色んな経験をしていく中で、ステージに立つことがどれほど尊く、価値あることかを彼らは段々と自覚していった。
そんなWゆうたが今まったく同じ熱量で同じ方向でステージに立ち、お客さんを魅了している事実が嬉しい。

「一歩ずつでいいさ この手を放さずに 共に歩んだ日々が 生き続けてるから ボロボロになるまで引き裂かれていても あの時のあの場所消えないこの絆」

Wゆうたの共に歩んできた日々が2人の全てを証明し、このステージに導いてくれた。

私はつい2人のこれまでの物語と重ね合わせて、勝手に付加価値を付けて、つい感傷的な気持ちになってしまう。
そういうことは沢山あった。
でももしかしたら、今回の涙を流した本当の理由はきっと違うのかもしれない、とふと思う。
なぜ私はDREAM BOYSを見てこんなに泣いたのか。
それは、
今までとか、これからとか、そんなこと全部取っ払って、ただ今この瞬間の目の前に立つWゆうたの輝きに涙を流した。
帝国劇場に立つWゆうたは、間違いなく世界一輝いていた。
人は、何も変えられない眩さを目の前にした時、自然と涙を流してしまうんだと思う。


三方礼のとき、何とも達成感に満ち溢れた表情をしていた。フライングで眩しいほどのスポットライトを浴びている時もそう。こんなにも充足感に満ち溢れた人間の姿がこの世にはあるんだ、と震撼させてくれた。
ステージに立つ意義を理解し、毎日同じだけの熱量で、ステージに敬意を払い、命を削るWゆうたを心から尊敬する。
2人にしか出せないプロの仕事。
そして、今この瞬間を噛み締めるかのように楽しそうにステージで笑顔を咲かせる2人の姿が何よりもそれを証明してくれる。
これからも2人は、共に歩み、そしてその日々が、これからの全てを証明してくれるんだろう。

本当に、本当に、本当に、素晴らしいステージだった。
ジャニーさん、ありがとう。

気まぐれな奇跡に酔ったその先~2ヶ月で関ジュにハマった話~

「ファンの人に焼け野原って言われてましたからね」

これがはじめて関西ジャニーズJr.の世界を覗いた瞬間だった。


3/3の朝、Twitterで話題になっていたROT関ジュ4回目を何気なくFODで見てみたのが全ての始まりでした。
西畑くん、大西くん、こーじ、室くん、みっちー、大橋くんは分かる。滝沢歌舞伎2018に出演していた丈リチャコンビ(?)とギターの正門くんは僅かに分かる。他の子は分からない。なにわ男子というグループが今キテるらしい。そういえばWUの表紙やってたし、カウコンにもいたな。Mフェアで水色の衣装で歌ってるの見たかも。関ジュを関ジャニ∞がプロデュースしてるらしい。
予備知識はこれだけ。
よく分からないけど、ジャニオタとしてまた知識が増えるから見てみよ〜!
そんな気軽な気持ちでROTを見たら、頭を殴られたような衝撃を受けました。


ROT4回目は、新年あけてすぐの、関西ジャニーズJr.大阪城コンサートにスポットを当てた内容だった。最終日は、室くんとこーじの関ジュとしてのラストステージ。カウコンから大阪城公演のリハ風景そして室くんとこーじの実質卒業公演という話だった。
その番組内で西畑くんが言っていたのが、冒頭のセリフだ。
私は2012年から2018年までJr.担をしていたので、Jr.のことなら大体のことは分かっているつもりだった。
でもそれは間違いだった。
関西のことは微塵も知らなかったんだ、と衝撃を受けた。
紫耀くんとれんれんが東京に行ったあと、そんな風に揶揄されてたことなんて1ミリも知らなかった。ただ衝撃で。何も知らなかったのに、東京Jr.を応援しているだけでJr.全体のことも知った顔でいた自分が恥ずかしくなった。関東と関西のJr.の世界は違うんだって。
大阪城コンサートの最終日、2人の卒業を公にはしていないが何となく雰囲気を感じ取り、すすり泣く会場。公演の最後に歌った曲が「My Dreamer」という曲だった。

果てしなく続く航海
今日も積み重なる後悔

卒業を悲しむ多くのJr.が、綺麗なお顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
その光景は、あまりに異様で、あまりに美しくて。東京では、そんな姿、あまり見たことがなかったから。
どこまでもJr.という航海が続いていて、確約されない中、後悔の連続で、手探りで未来を手繰り寄せる。そんな風に感じた瞬間、関ジュという世界の奥深さを感じ取った。



それから私は関ジュに興味を持った。
私が知らなかった、勝手に分かったつもりになっていた関西ジャニーズJr.とはどんな世界なのか、なにわ男子というグループは何なのか、どんな思いで大勢の関ジュがあの日涙を流したのか、どれほどのものが彼らの絆をそこまで強くするのか。
その答えが知りたかった。
とにかく色々動画を見て、調べて、ブログを読んだり、たまに見るだけだったバーチャルジャニーズの配信を毎日熱心に見始めた。










そこで初めて出会った。

丈橋に。

丈橋という、とんでもないシンメに。


バーチャルジャニーズの配信を熱心に見始めると1週間もしないうちに私は熱心なあすかな信者となっていた。だからあすかなの中の人である丈橋に惹かれるのはそう時間がかからないことだった。


私がこれまで最も好きなシンメは、自担である神宮寺勇太くんに関連するじぐいわでもWゆうたでも無く、剛健とふまけんでした。剛健とふまけんはすごいんだよ。けれど、私の中のシンメ順位を最高速で塗り替えるほどの魅力で私の脳内にアタックしてきたのが、丈橋というシンメだった。

丈橋についての詳しい話は、私が語るなんぞおこがまし過ぎるので、割愛します。有識者の方々のブログをぜひ読んでください。



丈橋の「同じ景色を見てきてまた同じ景色を見ていく人」「三列目の逆襲」という言葉を学んだり、ビジネスシンメと公言していたことを知っていくうちに、シンメとしてのパワーの強さを感じた。


丈橋は、手を取り合って切磋琢磨しながらスキルアップし、お互いにお互いを憧れ続け、似ているようで似ていない、光と影ではない、太陽とヒマワリのようなシンメ。ちょっとお馬鹿ちゃんだけれども賢くて優しくて太陽みたいな大きな愛を持っている大橋くんとツンデレでたまに頑張りすぎちゃうヒマワリのような笑顔を咲かせる丈くん。
丈橋は、一見すると、年上の丈くんが年下の丈くんをフォローしてるみたいな関係に見えるが、実は大橋くんが丈くんを掌で転がして優しく見守っているような一面もあって、常に2人の矢印は循環関係にある。
2人を見ていると、ちっぽけな悩みも馬鹿みたいに思えるし、心が優しさで溢れて元気が出てくる。温かくて優しくて愛おしさを分け与えてくれる。2人が「俺は"仕方なく"大橋とおるんやから」「丈くんかわええな」という平和な掛け合いをしている姿を見る度、微笑ましさで心が満たされる。

丈橋というシンメは、美しくて強い。






丈橋の奥深さに魅了されていくうち、次に私は藤原丈一郎くんのことが大好きになった。


元々私は藤原丈一郎くんのことは何も知らなかった。顔と名前は僅かに一致していたけど、性格もバックグラウンドも何も知らなかった。野球が好きな関ジュが甲子に映り込んでいたという話は聞いたことがあったけど(笑)そんなまっさらな状態で毎日SHOWROOMを見ているうちに、私は、バーチャルアイドル・海堂飛鳥を演じる藤原丈一郎くんのひたむきさに胸を打たれました。


丈くんは、普段コントを書いたりするようなお笑い担当で野球がとにかく大好き。ラジオやテレビ、雑誌ではメンバーをいじったりつっこんだりすることが多く、王子様キャラとは全然違うタイプの等身大の23歳の男の子だ。一方、バーチャルアイドル・海堂飛鳥という男の子は、クール系のザ・王子様キャラという設定だった。ファンのことを「姫」「王子」と呼び、甘いセリフを囁いていく。
丈くんとは全然違うタイプだった。
でも丈くんは、そんな全然違うタイプのバーチャルを自分の中に取りこみ、自分のものにして、海堂飛鳥を作り上げた。
バーチャルジャニーズの配信がスタートしたのは、2/19。その初回放送がYouTubeに載っているので、とりあえず見てみてほしい。
youtu.be
その後約2カ月経過した海堂飛鳥くんの配信ダイジェストver.がこちら。(苺谷星空くんを演じる大橋和也くんが「カブトムシ」を歌っているのでこちらも合わせて聞いてほしい!)
youtu.be







……………………………………分かる?????
全然違うの。
初回の頃と今では、海堂飛鳥という人物が全然違う。
キャラクターも、発言も、声色も、セリフも。


丈くんは、海堂飛鳥として生きようと努力をしている。海堂飛鳥という人物を藤原丈一郎の中に確立させた。
私は、そんな姿に胸を打たれた。
調べていくと、藤原丈一郎くんは8歳の時にジャニーズ事務所に入所し、芸歴15年だと知った。ROTでは、大学三年生の時に就職をしようと企業の説明会に行ったという話をしていた。企業の人と話していくうちに「自分はやっぱり沢山のお客さんの前で喋ったりするのが一番活き活きする」と気付き、就職を辞めたらしい。
「だって人生を賭けるみたいなもんやから」
「ギャンブル中のギャンブルやなって」
「全国区に進出したいですね」
そう言って笑っていた。


丈くんは、良い意味で泥臭い。私はそう思った。でも、その泥臭さと粘り強さと努力で今がある。ひとつのことに向き合い、頑張り続けてきた15年間。何があってもへこたれない強さがある。
私はそんな藤原丈一郎くんの15年間のアイドル人生の欠片をバーチャルジャニーズというコンテンツを通して覗き見たうちに、人間味溢れる丈くんのことが大好きになった。
彼が目指す先を見たい。
これからの彼の未来が全て希望で満ち溢れていることを願う。




ここまで来たらお分かりだと思うが、私はROTやあすかながきっかけで、丈橋そして丈くんのことを好きになった。
そんな私がなにわ男子を、そして関西ジャニーズJr.を好きになるのは当然のことだった。

私はなにわ男子のダイヤモンドスマイルという曲を聴くといつも泣いてしまう。ダイヤモンドスマイルは本格的にハマる前に一度聞いたことがあったが、ハマった後に聞くと全然違った曲に思えた。歌詞の一つ一つの意味が彼らとリンクしていているように思えて、この世で一番ダイヤモンドの輝きに近いのはなにわ男子だと本気で思える。みるみるうちに7人の眩しい輝きに吸い込まれていく摩訶不思議な魅力をもつ楽曲。Jr.情報局に入っている方は会員動画#42の20:54辺りでパフォーマンスが見られるのでぜひ見てください。





関西ジャニーズJr.は独特の世界だ。
歴史や伝統があり、密な関係性があり、Jr.の距離感も現場の雰囲気も全然違う。正直分からないことだらけで、私なんかが偉そうに話したらどこからか石を投げられるんじゃないかとちょっと怖い。そんな偏見からなのか、私は今まで、あまり見てこなかった。


けれど、一度足を踏み入れたら、そこはユートピアだった。

家族のような仲間がいて、ファンがいて、互いを高めあって支えあって、笑いあって泣きあって。関西ジャニーズJr.という大きなまとまりのそこはかとないパワーと愛を知った。

私はこれから丈くんを、丈橋を、あすかなを、なにわ男子を、関西ジャニーズJr.を応援していきたい。そんな気持ちになった怒涛の約2カ月でした。



プラチナのジェットに乗って気まぐれな奇跡に酔った先には、ユートピアがありました。